2014年12月09日
【ありがとう台湾】ご本尊様は日本軍人
台南には、日本軍のパイロットを祀る、民間信仰の廟があります。
第二次世界大戦中のこと。台湾沖航空戦で
米軍からの奇襲を受けた台南を、日本軍が迎え撃ちました。
零戦32型のパイロットであった杉浦茂峰さんは、米軍からの攻撃で被弾
緊急脱出をすれば助かったであろう状況でしたが
民家への墜落を免れるため、畑に落ちて戦死されました。
終戦後、日本軍人の霊が出るということで、住民が
ここで亡くなった杉浦さんを祀る事に。
すると、作物や家畜は良く育ち、平和が訪れ
多くの住民が参拝するようになったそうです。
90年代になって、参拝客が後を絶たないことから
有志から資金を得て、廟に建て替えることに。
日本の皇族や、元日本軍の方たちも訪れるようになりました。
日本のことを好きな台湾人や、ミリタリーマニアも
日本軍のコスプレをして訪れるそうです。
それが、こちら。
鎮安堂飛虎将軍廟
【飛虎将軍廟 Wikipediaはこちら】
LEDで、めっちゃ光ってます!キラッキラです!!(゜ロ゜
入り口にと掲げられているのは
「歓迎 日本国の皆々様 ようこそ参詣にいらっしゃいました」
飛虎将軍というのは、杉浦さんのことで
尊敬して「将軍」とつけているそうです。
中にはご本尊と、台湾の国旗、日本の国旗
そしてお供え物など。
廟の中は綺麗に掃除され、供えられている花もとても新鮮で
よく手入れされているのが分かります。
王さんが、零戦のDVDを1枚は自分用、1枚はお供え用に
日本で購入。ノートパソコンを持参して
神様の御前でDVDを再生し、見ていただきました。
おそらく、「零戦52 ハイビジョン・マスター版」だと思います。
アメリカの、現在も稼動する零戦を撮影したもので
かつての敵機、B-25から撮影したものです。
機内にもカメラを搭載して、まるで自分が操縦しているような
映像も見る事ができます。
王さんは、台南に来るたびに参詣し
日本からのお土産を供えるそうです。
ご神体は3体…。何故3体もいらっしゃるのかというと
真ん中1体がご神体で、両脇の2体は分身、
信者への貸し出し用とのこと…。
台湾の神様は、フレキシブルです(゜ロ゜
筆談だったので、言葉はあまり通じませんでしたが
たくさん説明をしてくださった管理人の方(^_^
とても親切なお方でした。
案内のパンフレットや、仏教の本までくださいました(高そう)
毎日1ページずつ読めるようになっています。
分かりやすい漢文なので、読みやすいですよ。嬉しいです!
カレンダーをめくって下さっているんですが
12月 6~7日はここの廟の大きなお祭りがあるそうで
たくさんの参拝者で溢れ返るそうです。
日本人が訪れたことを取材した、地元の新聞。
こういった記事がいくつも貼られています。
「大阪日台交流協会」
日付を見ると、2011年3月11日
台湾の、東日本大震災への支援に対する感謝の楯なんですね。
参拝者の名簿も見せていただきました。
日本各地から多くの方が訪れているようです。
この日(11月18日)、私たちと同じく
ここを訪れた日本人が数名いらっしゃったようです。
私も、三戦警護士事務所の名前で書かせて頂きました。
杉浦さんは生前、タバコがとても好きだったそうなので
ここではタバコを毎日6~7本、お供えするそうです。
私もお供えをお手伝いしました。面白い形のバーナー(^_^
最近のタバコは如何でしょう?
今度来るときには、「ほまれ」とか「かちどき」を用意しますね!
管理人が毎日、日本国歌「君が代」と
午後は「海ゆかば」を、祝詞として流します。
(杉浦さんは海軍所属でした。)
地元の人達から人気の、飛虎将軍廟。
かつて、杉浦さんのご家族が迎えに来られた事があるそうです。
すると、住民からは「行かないで欲しい!」との声。
結局、吉兆を占う方法で飛虎将軍に聞いてみたところ
「帰らない」と仰っていたそうなので、そのままここで
祀られ続けることになったそうです。
地元住民から人気の飛虎将軍は
今でも台南の地を守っていらっしゃいます。
飛虎将軍廟、また参詣に行きたいと思います。
http://takasago-dp.com/hikosyougun/data/hikosyougun_main.pdf
飛虎将軍廟のパンフレットを見られます↑
詳しく説明されていますよ。(日本語版は下のほうにあります)
小さいお子さんでも分かりやすい、漫画版の
パンフレットも置いてありました。
【お知らせ】
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いつか、行って見たいです。
ゼロ戦の絵を飽きずによく描きました。坂井三郎氏の「大空のサムライ」は当時の愛読書です。
飛虎将軍、て言われると関羽髭を生やした貫禄ある古代中国の将軍を連想してしまいますが、杉浦飛曹長は弱冠二十歳だったようですね。
二十歳で准士官、かなり昇進が早い。もしかしたら尋常高等小学校卒で予科練に入ったエリートかもしれません。
私自身台湾へは行ったことはないのですが、
台湾のかたは優しく親切とお聞きしています。
いつか行って、参拝したあと台湾のミリタリーショップ
めぐりとかしたいな~。
今、これを縁に姉妹都市提携をしようという
動きがあるようですよ。
なるといいなぁ。