2016年07月19日
日独米 赤十字の看護婦さん
ショットショージャパンで展示されていた、第二次世界大戦中の
各国の看護婦さんの制服が展示されていました。
早速問題です!
これらは、日本、ドイツ、アメリカのものですが
どれがどの国のものでしょうか。答えはちょっと先の方で。
よーく見ると、ヒントがあるかもしれません(*´艸`)
これらの制服を展示されていたのは、関西エリアで
ヒストリカルゲームイベントを主催されている
「関西ヒストリカルイベント」
イベントでは、第二次世界大戦の日米の装備を中心に
展示されています。詳しい説明もして下さいますし
まるで博物館のようなブースなのです(^_^
この日は、関西ヒストリカルイベントを掲載した
戰鬥王(CKM)を展示して下さっていました。
ありがとうございます!
さて、問題の答えです。
左から ドイツ、アメリカ、日本 です。
ドイツ赤十字 看護補助婦
制服
DRK Vor Helfer "Helferin"
Dienstanzug
DRK= Deutsches Rotes Kreuz(ドイツ赤十字)
ヴェルサイユ体制において、一切の軍隊との関わりを
禁じられていたDRKですが、ナチス体制下で制限が解かれ
あらゆる軍への協力が可能に。
第二次世界大戦においては、60万人を超えるDRK職員が
国内外で活躍をしたそう。
主な役割は、看護、衛星処置の他、医療分野以外でも
手紙の補助、士気高揚のための慰問、シェルターの構築、
誘導なども含まれていました。
アメリカ赤十字 志願看護婦
制服
ARC Volunteer "Gray Ladies"
Service Uniform
アメリカ合衆国に於いて、医学の補助を受けにくいものを対象とし
各地の病院、他の公共設備、および私的なものも加えた患者、
負傷者、障害者へのサービスを提供したアメリカ赤十字。
Gray Ladiesは、そこにボランティアとして参加した
看護婦(補助員)です。
役割は、看護、補助、手紙を書く、読む、個別指導の他、
病院の娯楽室や受付で、訪問者へのガイドとホステスとして
役立つこと、赤十字センターの歓待サービスも提供していました。
Gray Ladiesは、第二次世界大戦中にその人数が5万人と最盛を迎え
陸海軍や、他の病院でも勤務、連合軍に多大な貢献をしました。
戦後も、海外各地の陸軍病院で勤務が続けられ、日本でも
進駐軍と共に大いに活躍したそう。
日本赤十字社 救護看護婦
防暑衣
日本での従軍看護婦制度は、明治中期に日本赤十字社によって
養成が始まりました。平時は日赤病院その他に勤務し、
戦時には召集に応じることになっていました。
日清戦争が初の召集で、陸海軍の病院で活躍。
従軍看護婦として、大きく報道されました。
その後、日露戦争や第一次世界大戦、続いて
シベリア出兵に於いては、病院船への乗り組による
海外勤務も行われました。
1919年には、平時の陸軍病院に勤務する看護婦の採用が始まり
当時は日赤看護婦養成所の卒業生のみが対象でしたが
後に一般の看護婦も採用されるようなり、陸軍看護婦と
呼ばれるようになりました。
第二次世界大戦では、35,000人が従軍し、1,120人が戦没。
(正確な数字は不明)
恋愛や勉強をしたい若い世代や、家庭を持っている方も多く
過酷な環境での従事が多かったと思います。
その中で頑張ってきた看護婦さんたちの制服。
貴重なものを見られました。
関西ヒストリカルイベントの皆様、ありがとうございました!
【お知らせ】
中田商店
上野アメ横・御徒町の、ミリタリーウェアの老舗
各国の迷彩服・装備品が揃います。
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心の色は赤十字というフレーズが印象的です。
ドイツの看護婦さんは、ヒトラー最後の12日間の看護婦さんが美人さんですw
軍歌は、前線に赴く男性に歌われるイメージが強いですが、従軍看護婦や陰で支える女性の歌も多いですよね。
どうにも映画が苦手で、気になるもののまだ見ておりませんが、最近克服するために色々見ています><
ヒトラー最後の12日間も、見てみます!